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2018ようこそ

俺の手に頭を預けろ
ほら、地球の真ん中にいるんだよ

泣きすぎて自分が水滴になりそうだ

今私は幸せか?だなんて考えていたら鬱になる

恋の痛みを知るということは世界を知ることにつながる

…これはこの5日間で見た映画のセリフの数々。

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今年は家族が実家に帰り、私だけ長野に残った5日間年末年始でした。
これ幸いに、いつもやれたらいいな、ってことばっかりでスケジュールを立てました

29日お昼から、グリーンスムージークレンズ開始。
そこから3日間は掃除三昧。
その後2日間は映画三昧、好きなラジオ・音楽のみ。

それと同時にテレビ全くなし。

食事はおせち(栗きんとん以外は数品作りました)を好きな器で(ここ大事、自分用に1枚だけ買って来たw)

外に出かけるのも、29,30日の近所での年末年始の買い出しと、31日の木曽への年越しそば打ちのみで
あとは全く。コンビニすら行こうとは思いませんでした。

実は、2017年はとても実りを頂いた沢山の出来事があった、いい1年だったんだけど
それと同じくらいの量で、周りに渦巻く過剰なことば使いや表現がとても気になった1年だったんです。
あんなに好きだった椎名林檎がなんで聴けなくなったのか?もそこに原因があったみたい。彼女の間違った敬語の使い方、二重敬語が2000年前後よりもさらにパワーアップしてるから!そしてその裏に隠された何かが!ってことにもこの年末で思い当たってしまったから笑そりゃ違うかもしれないけど、勝手な私の想像ですけれど、年始にNHKでやっていた彼女のラジオでの喋りを聞いててそこに思いついてしまった…。彼女いつからNHKの広告塔みたいになってしまったんだろう?って思いながらじっくり聴いたのです。とても聴いてくれる人、を考えている人だった。過剰なくらい。)

感情という見えないラインを乗り越えて、相手が私に向かって出してくるそのエネルギー、装おうとする、あるいは隠そうとする、示そうとする…誇示しようとする…?職業柄かなぁ、避けきれないというかまともに受けることが多く感じていて、スルーしてなるべく関わらないように注意はするんだけど、きっとその破片みたいなものが溜まっているのが判っていた。

見なきゃいいんだけど。
見なくても、感情の色は残って行く。

例えば今年はまって見ていた「視覚探偵日暮旅人」のドラマの映像のように。
あの表現は私が感じていたものにとても似ていて、だからとても集中して観てしまった。
もう毎回毎回涙なしには観れない(そんな、感動モノ、じゃなくてジャンルは探偵モノ、なんですけどね…)

それらをできる限りシャットアウトした数日間。
心から命の洗濯って、こういうことを言うんだな、っと思いました。

たまに疲れたら、
テレビ、情報、人に会わない数日間を作り出すといいかもしれない。
このままどっぷり浸ってると、戻れなくなりそう。

さあ、日常よ、ただいま。
ブログアップです

木曽にあるふるさと体験館きそふくしまにて30~31日に開催されていた「年越しそば打ち体験」に行ってきました。打ち自体はもう数えきれないくらいやらせてもらってますが、それも年に1,2回くらいのこと。毎回仕上がりの違いに愕然とします。

おせち、もいつもは義実家の手伝いだけで、結婚以来自分のおせちを作ったことがなかったので。きっと昔は「嫁の分際で自分のおせちなんてとんでもない!」って事なんだとは理解してますが。あまりにも寂しいじゃないですか、それじゃ。って事で。雑煮も東京式。かまぼこと椎茸入れ忘れてますのが、そこはご愛嬌で。

 

家の掃除さえメドがつけば、ヨガの練習も自分のペースで存分に。その間、我が家の犬はこうやって傍のソファで、諦めたように横たわって静かに待っててくれました。おそらくマントラ聞くと「あ、遊んでもらえないのね」って覚えたのでは。

年越しそばは、31日の夕飯、海老の天ぷらが私の生まれ育った習慣です、あ、温かい蕎麦ですよ、東京は。長野は「もりそば(冷たいって事)」ですものね〜。あぁ、なん年ぶりかしら。美味しく年越しそばをいただくのは!(長野は31日からご馳走なので、その締めで食べる年越しそばはそう美味しいものではないのです)

栗きんとんも、松葉に刺したこのアレンジも、子どもの頃見た「おせちレシピ本」に載っていて憧れたものを。好きに盛り付けて。